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marronglacediary

日々の小さな喜びを

ジレンマを乗り越える

東京から田舎に移住して、色々な職場を経験した中で感じていた、ひとつのジレンマ…。

 

東京のデパートで働いていた経験を活かして、近所のスーパーのレジの仕事に就いたが、全てのお客様に、通り一遍なマニュアル化された用語・動作での接客を強要され、ひどい違和感を感じた。

 

具体的に言うと、このセリフを言う時はお客様の顔を見て、このセリフを言う時はお金を見る…というように。

ポイントカードをお持ちかどうかも、決まったタイミングで、決まった文言でやり取りをする。

お預り金額の確認のしかたや、お札の取り方、数え方から返し方まで、全てマニュアルで決まっており、その通りにやらなければならない。

 

ロボットみたいな接客。

これが、最初の感想。

 

今までやってきた接客とは真逆のもので、とても窮屈な感じがする。

 

そして、この記事を読んで、自分の考え方が悪いわけではないと納得した。

 

レジ 接客のマニュアル大公開 | レジ接客をさらに3倍よくするマル秘術を特別に紹介!

 

田舎の人材教育とは、マニュアルを徹底することであり、都心の人材教育とはマインドの向上であると分析した。

思うに、田舎のレジチェッカーとは、チェッカー検定に通用する内容での接客を教育している。

その土地に合ったやり方なのだろうけど、臨機応変さが求められる戦場みたいに混雑する店で働いていた身としては、ガチガチに固まった接客トークなど窮屈極まりない。

 

結局、住む土地が変わっても、今までの経験の中で培われた仕事に対する価値観は変わらないという事なのだろうな。

そしてその環境で働くのなら、そこに適応しなければならないけれど、私にとってそれは退化することと等しい。

慣れればどうってことないのかもしれないけれど、今まで無意識でやっていたものを全部新しいものに置き換えるとなると…慣れるのが大変だ。ものすごいエネルギーとストレスがかかるし、自分が良いと思えないものにそんな労力使いたくない。

 

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そんなわけで、セルフレジが普及し始める昨今、コンビニまでもレジをロボットが行うようになる近い未来、機械化されていく職種にしがみつくのはやめて、これから先必要になってくるであろう新しい仕事に挑戦してみようかと考えたのだった。

 

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掃除でリセット、快適習慣のすゝめ

この間の日曜日、台所の片付けをした。

 

食器やキッチン用品で、ここ一年くらい使ってないものや、ほとんど使わないものを整理して、シンクの脇にある引き出しをスッキリさせた。

 

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開ける度に引っかかるおろし金は未だに使わないけれど、捨てるのも勿体無いので引き出しの奥に入れた。

時々使うハンドミキサーは台所の高いところに置いていたのを取りやすい場所に移動。

自分用の箸やスプーンなどはカトラリーケースにまとめた。

 

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年に一度使うか使わないかのゴムベラや製菓用の泡立器、ポテトマッシャー、スペアの二重茶こしや猫用のスポイトなどはカゴに入れて台所の最上段へ。

予備のスプーンなどはミニポットに入れて食器棚へ。

子供用のスプーンは妹にあげることにする。

 

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その後ソファスペースにホットカーペットを移動したので寝室のカーペットと床に掃除機をかけた。

 

掃除機の苦手なおはぎちゃんは避難しつつ見物。

 

まだ寒いし雪も降るから石油ファンヒーターは欠かせないけど、ぼちぼち春支度も兼ねて…時々模様替えして過ごしやすいスペースを見直すのだ。

 

気持ちを入れ替えるためにも、生活の中で大切にしたい空間を見直し、リセット。

これで仕事も頑張れる。

 

お掃除の途中で思わぬご褒美を習得。

神様に感謝して、また西側の窓をしっかり掃除しようと決心。

 

風水の勉強したいなぁ。

死にたい理由と生きたい理由

今日は朝から父のラジオの音がうるさくて目が覚めた。

不快な目覚め。一階から二階に向かってラジオがうるさいと文句を言った。なぜわざわざ今日にかぎってラジオをつけるのだろう?

大事な仕事があるし、昨日は雪かきで疲れたからもう少し休みたかったのに。

 

とりあえず気を取り直して雪の様子を見に外に出て、車の上に積もった雪をどかし、ほんの少し車の出し入れに不自由ない程度の雪かきをする。

 

ついでなので玄関先から庭をぐるっと回るコースの雪を軽くどかし(といっても昨日の作業で握力がないのでスコップで押し出す程度)外の猫たちとお話しして、家に入ろうとしたら玄関に鍵がかかっていた…。

 

朝起きて、そのまま上着を羽織って出てきたので鍵など持っていない。それなのに、玄関に鍵がかかっている。車の鍵も携帯も、もちろん部屋の中だ。

 

昼から仕事なので鍵が開くのをのんびり待つほど暇じゃないし、なにより寒い。

鍵と携帯が部屋にある以上、家のドアを叩く以外に父に気づいてもらう方法はない。

ご近所さんに電話を借りるとかは本当の最終手段だ。

 

ただ…鍵を閉めたのはなぜだろう?

娘が外で雪かきをしているのになぜ玄関の鍵を閉めるんだろう。

 

結局玄関のドアや風呂場、トイレの窓を叩いて回ったがいっこうに鍵が開く気配がなく、二階の窓に向かって雪玉を投げた。

しかし粉雪で柔らかく、素手で雪玉を作るのが辛い。

さすがに冷たすぎて雪玉を作れなくなったので玄関先にあるプラスチック製の小物を窓に投げる。

雪かきに使っていた箒も投げる。

窓ガラスは強化ガラスなので多少のことでは割れないが、雪かきしていて締め出された怒りにまかせて割ってやりたくもなる。

 

一階の窓を叩き割って部屋に入ることもできるが、修理にお金がかかるし、ご近所で噂が立っても困る。まぁ、玄関先でドアを叩いて、開けて!と叫び続ければ窓を破らなくとも噂にはなるだろうが。

 

呼べど叫べど叩けど投げれど、いっこうに鍵が開く気配がなく、今日は大事な仕事もあるのに、なんだか心底悲しくなってきて玄関先で泣いた。

 

どうしたらこんなひどい仕打ちができるんだろう。

うっかり鍵を閉めるということは確かにあるとは思う。けど、これだけドアを叩いたり呼んだりしても気がつかないのは考えにくい。

父はそこまで耳は遠くない。

 

宅急便の人に気づかない事もたまにあるが、ドアを強く叩いたり呼んだりすればたいてい気がつく。

しかし今日はいくら強く叩いても呼んでも全く出てくる様子がない。部屋で倒れているのかと少し不安にもなるが、そうではないだろう。

 

自分には長い時間に感じたが、おそらく15分か20分くらい経った頃か、玄関のドアのガラス部分を叩き続けたらようやく鍵が開いた。

イヤホンで何かを聴いていたから聞こえなかったそうだ。

ドアを叩いたり蹴ったりする振動でも、気がつかなかったのか?そんなはずはないだろうと思う。父はそこまでボケてはいない。気がつかなかったと言えば悪意がないと言い訳ができる。それだけの事だろう。

 

そしてドアを閉めた父はもちろん何も言ってこない。

こちらから何か言う事ないの?と私が言ったら、ごめんごめん、と心にも無いような謝罪の言葉を言われた。

そのやり取りをして、なんとなく、わざと鍵を閉めたのだと察してしまった。

 

父は、昔飼っていた猫が風呂場に落ちた時も、勝手に風呂場に入ったから懲らしめるために(父が「懲らしめるため」と連れて行った動物病院で先生に言ったのだ)濡れた毛を乾かしてやらず、その猫は結局死んでしまった。

 

私に対しても、ラジオがうるさいと文句を言ったので、おそらく仕返しで締め出したのではないかと思う。

父はそういう人なのだ。

昔はもっと暴力的でひどかったし、子どもが言うことを聞かないと子どもの大切にしているものを破壊したりした。

 

中学生の頃、学生カバンを父に壊された。革でできている硬いやつだ。ものすごい馬鹿力だと思うが、父は素手で引きちぎった。

ベッドの下に隠していた藤本ひとみ先生のコバルト文庫の小説もビリビリに破かれた。

弟もいつだったか、ミニ四駆を自分で壊すように命じられた。母はそんな父に逆らえなかった。そんな目に合わなかったのは妹だけだったかもしれない。

 

だから、母も父のモラハラによって精神を病んでしまったし、弟も母の死に責任を感じて病んでしまった。2人とも、当時住んでいたマンションの9階から転落して亡くなったのだ。私は事故だったと思いたかったが、警察の調べでは自殺だった。

私も、今日は久しぶりに死にたいという思いに駆られた。なぜ死ぬか?父への当てつけだ。母を殺し、弟を殺した父のモラルを否定するためになら自ら命を絶ってもいいかと思う時がたまにある。

 

けれど、そんなことをしても、父は変わらないだろうとも思うのだ。母と弟を亡くしても変わらない父には私の死を持ってしても無駄だろうと思う。それこそ無駄死にってやつだ。雑魚キャラがフリーザに向かって行くようなものだ。

 

私はおはぎちゃんのために生きることにしたのだから、この子のためにも自分の人生を、生活を大切にしなければ。

 

こんなふうに暮らしていかなければならないなら、やはり家を出たいと思ってしまう。

父は好き勝手にやればいい。

私は父のせいで精神を病むなんてもうお断りだ。

しかし、高齢の父を1人残して家を出ることは、家族のあり方としては間違っている。

 

父への恨みが消せないのに一緒に暮らしていても苦しくなるだけなのに。

どうあるべきか、考えるまでもない。私が耐えなければいけないのだろうな。

許せれば楽になるだろうけど、許せない事だってある。そしてその許せない人と暮らさなければならない苦しみを乗り越えたら、何かがあるのかな?

 

喜びではないだろう、ただ、ああ、苦しいところ、終わったな。という程度だろうな。

 

死にたいと思う時は何度もあったし、これからもきっとあるだろうけど、やっぱり一度きりの人生だから、苦しい部分も含めて生きてやろうと思うんだ。

人生には苦しみしかない、そう言ったのは仏陀だったか…?

愛しき日々

相変わらず寒い日が続き、今日は朝から雪。

昼過ぎ一瞬やみそうな気配もあったけど、また降り続き、結局夕方頃に早めの雪かきをした。

 

明日は変更できない大事な仕事があるので、遅れたり行けなくなったりしたら大変だ。

今夜のうちに積もってしまったら、明日の午前中には雪かきをしないと仕事に行けない。

 

春先や梅雨の時に庭の土がベチャベチャになるのは仕方ないけど、雪は本当に困る。雪は大好きだけど、仕事に行けなくなるのがとにかく困る。

とはいえ、こんな不便な土地に暮らしていても、やっぱり田舎が好きだなぁと思う。

 

 

話は変わって、最近おはぎちゃんがますます甘えん坊で、寒いせいもあるが、遊び飽きると膝の上に乗ってくる。

ファンヒーターの温風があたるところや、ホットカーペットの上に置いたおはぎハウスで寝るときもあるけど、膝の上に来る頻度も高くなった。

 

私の膝にちょこんと座るうしろ姿は、まだ子猫のあどけなさが残っていてとても愛らしい。

 

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この子が何をしていても、可愛くて可愛くて仕方がない。

 

最近は、私の髪をグルーミングまでしてくれるようになった。

もしかしたら髪染め液のなんらかの匂いが気になるのかもしれないけど…一生懸命グルーミングする仕草が可愛くてたまらない。

毎日幸せだなぁと思う。

 

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最近どうしてこんなに安定しているのか理由を考えてみたけど、以前記事に書いたこと以外に、毎日ではないが、セントジョンズワートのお茶を飲み始めたせいもあるかもしれない。

セントジョンズワートはうつに効果があるらしい。カルディのハーブティのコーナーに普通に売っているのでうつに関係なくても飲んで大丈夫です。それに、なによりとっても美味しいのだ。

夜はコーヒー禁止にしているのでハーブティかほうじ茶などを飲んでいるのだが、カフェイン摂取時間を決めたおかげか以前よりはよく眠れる。

 

たまに尿意や皮膚の痒みで目が醒めるが、浴槽にしっかりつかり、ベビーオイルでしっかりマッサージと保湿をして、お風呂上がりにスキンミルクを塗ったら昨日は痒くならなかった。

 

乾燥で皮膚がボロボロなので、めんどくさいけどもっとちゃんとお手入れしなければ。

幸い昼の仕事に変えてからというもの、時間はたっぷりあるので、自分の身体のメンテナンスもしっかりやっていこうと思う。

そんなわけで、最近だいぶ、調子がいいです。

 

早く仕事が安定して、たまには美味しいものを食べに行けたらな〜というのがここ最近のささやかな目標?です。

 

お寿司焼肉ハンバーグ、お腹いっぱい食べたいよう。

 

 

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108件の記事と、それより多い煩悩の数

ブログを始めてそろそろ1年が経とうとしている。にもかかわらず、すでに記事は108件になってしまった。

 

削除した記事もあれば、下書きだけでそのままになっている記事もあり、喜びを綴った記事もあるが、それらはごく稀で、この1年(実際はそれ以上前からだが)ずうっと仕事や人間関係や生活のことで悩み続けていた。

 

最近は不思議なことに、何かが吹っ切れたように気持ちがさっぱりしている。

今まではとにかく足掻いて足掻いて、ジタバタして悩んで、またジタバタしてといった感じだった。今は、さんざんジタバタしてきたけどよけいに溺れただけのような気がするので、おとなしく水面に浮かんでいるような状態。

 

水面が穏やかな時は、自分の行きたい方向に舵を取れるが、波が荒れて風が吹き荒ぶ時は、いくら水面を掻いても無駄。

せいぜいできるのは、船が沈まないようにしっかりとバランスを取るようにすることくらいかもしれない。

 

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これらはあくまでも喩えだが、人生の波というか、運気の流れや何かしらのエネルギーというのは水のような状態なのかもしれないと、最近思うのだ。

 

コップからコップに水を注ぐ時、勢いよく入れればこぼれにくいけれど、あまりにゆっくりと注ぐとコップのフチを伝い水がこぼれてしまうように…先日の記事にも書いたが、勢いがついている方が物事がうまく行くのもこういう理由のように思える。

 

よく人間のマインドの状態をコップに喩えられる事があるが、人間の心がコップなら、気の流れは水のようなもので、心が(プラスでもマイナスでも)いっぱいだと受け取れないけれど、少なければ受け取る事ができ、そしてそのコップという器は、いろいろな苦しみや経験を乗り越えることにより、拡げることができる。

 

そう考えると、人間の器が大きいとか小さいとかいう表現は、言い得て妙だ。

そして流される生き方がいちばん疲れなくて楽なのもわかる。

 

言葉とは不思議だな〜と改めて思う今日この頃。

 

そんなわけで、(どんなわけだか?)西からの風が強くお天気が良かったので、少しの時間だけ西側の窓を開けて、窓を掃除した。

 

なぜ西かって?

そりゃあ金運アップです。

小林正観さんの本に、金運アップを期待してトイレ掃除などをするのは悪いことではないと書かれていたので、今日は私にしては珍しく、こういう理由でお掃除しました。

 

お金も人間が生きていく上で欠かすことのできない大きなエネルギーなので、それらを受け取る準備をしていこうと、最近はそのように感じるのです。

 

都会で暮らしてたらこんな風には思えなかったかもしれない。何にもない田舎に住んでいると、生きていくってなんなのか、すごく考えるし自然の力を強く感じることができる。

仕事探しは本当に大変だけど、ど田舎万歳です。