つぶやきノート

日々のアレコレを記録してます

シオタンというネコのこと

先日、私がとても可愛がっていた猫の亡骸を、玄関の軒下で見つけた。

 

名前はシオタン

白ネコなので→シロちゃん→シロたん→シオタン、という流れで名前をつけた。

ちなみにクオタン(黒ネコ)もいるが、とんと見かけない。

 

うちの軒下で生まれたネコ。

兄弟もいたが、大きくなるにつれて次第に見かけなくなった。

 

昨年夏、シオタンは尻尾に怪我をして帰ってきたが、当時、うちの近くには縄張り意識の強いトラ猫が住み着いており、シオタンは落ち着いて暮らせなかったせいか、夏以降は姿を現さなくなった。

 

まったく見かけなくなってしまったので、死んでしまったと思っていたシオタンが、今年2月の大雪が降った2日後くらいにひょっこり帰ってきた。

 

雪で道路も畑も真っ白な時に、真っ白なネコが帰ってくるなんて・・・神様のイタズラみたいで不思議だったけど、シオタンが元気でいてくれたことが嬉しかった。

しかし、道路も畑もそこら中真っ白なので、車にはねられやしないかと心配だった。

 

尻尾の怪我も、半年以上経っているのに治っている様子が見られなかったので、サクラというネコがいるけれど、シオタンを家の中で保護することにした。

 

しかしかなり臭かったし、泥だらけのままでは布団にも入れてあげられないし、傷の手当てもできないので、(嫌がるのは分かっていたけど)できるだけ傷口に当たらないように手足と体にシャンプーをして、患部に軟膏を塗りガーゼを当てて尻尾に包帯を巻いた。

最初の晩は、サクラとは別々の部屋で過ごしてもらった。できるだけ早く室内に慣れてトイレを覚えてもらいたかった為でもあるが、急な環境の変化に怯えたりしないかと心配だったので、そばにいてやりたかった。

明け方ふと目を覚ましたら、私の枕元でシオタンが丸くなって眠っていた。昨年17歳で亡くなったマロも、いつも私の枕元や胸元で眠っていたことを思い出して、シオタンがたまらなく愛しく思えた。撫でてやると今までに聞いたことのないような甘えた声で返事をした。家の中で暮らすことは不自由でもあるだろうが、この子が安らげるならこれから先もずっと一緒にいたいと思った。

 

嫌がられても朝と晩には包帯とガーゼを取り替え、患部に軟膏を塗る。これを続けていけばきっと少しずつ良くなるだろうと思っていたが、室内飼いを始めて2日目くらいにどうしても外に出たかったらしく、ブラインドの隙間に頭を突っ込んだりして脱走を図った。

仲良しのネコたちが外にいるから、その子の声が聞こえたらしい。今までずっと外で自由に暮らしてきたからやはり外で暮らしたいのかも…そう思うと、狭い家の中に閉じ込めておくのは心苦しかった。

その考えについてはそれぞれ賛否両論あるだろうが、シオタンがこんなにも外に出たがっているのに閉じ込めておくことはできなかった。

 

外に出してしまうと、尻尾の手当てを極端に嫌がるようになり、何もできなくなってしまった。

けれど仲良しのネコ達と庭を駆け回ったり軒先で日向ぼっこしたりする姿を見て、与えられた限りある命をどのように生きるかについて、人間がコントロールしようとするのは単なるエゴなのかもしれないと思ったりもした。

そして、寒い日と暖かい日を繰り返しながらも春を迎え、庭先の梅も散り始めた頃からシオタンを見かけることが次第に少なくなっていった。

ゴハンさえも食べに来なくなり2日ほど経ったが、あったかくなったから前の住処に戻ったのかな?と思っていたし、また何かの拍子にひょっこり現れるだろうなんて呑気に考えていた。

 

ある日、出勤前に宅急便の荷物を受け取って、玄関先に置いて出かけようと振り返ったら、木が腐って崩れかけた階段の向こう側に、何かが倒れているのが見えた。

真っ白な毛…まさかと思ったけど、尻尾を見たらやっぱりシオタンだった。

いつからそこにいたのかわからない。

階段を上るときは、たいてい仕事の帰りで暗かったうえに足下に気を取られていたので、気がつかなかった。気づくのが遅くなってゴメンね…。

 

昔は、命を失った身体に触れることが怖くてたまらなかったけれど、田舎で暮らし始めてからは、命の営みとは自然そのものなのかもしれないと思う機会が多く、幾度かネコやトリなどの亡骸を拾って埋葬したこともあるので昔ほど怖いとは思わなくなった。

命あるものは自然の営みとともにいつかは終わりを迎え、土に還っていく。私にできることは、その身体を拾ってやることと、次の命が幸せであるようにと願うこと。

お庭に穴を掘って埋めてやり、消毒用の石灰と、せめて獣には荒らされないようにと土の上に木の枝をたくさん被せて、お花を添えた。

 

シオタンはゴハンをあげるとき、カリカリの入ったスプーンを握る手に頭突きをしてくるので私は何度もこぼした。シオタンのその甘えるような仕草がたまらなく可愛かった。真っ白で金色の眼をしたかわいい子。もっと長生きしてほしかったけど、すべての命には遅かれ早かれ終わりが来る。

自分の命さえ、明日どうなるかわからないし、それは神様の御心のままに、時が来たら受け入れるしかないのだろうと、いつも思うのだ。

 

シオタン、ありがとう。

 

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