一時停止
前に進めなくなって、数日経つ。
今日は父が帰ってきて、私が室内の電気を消して休んでいるにもかかわらず、ラジオの音を大きくしてうるさくされた。
おそらく、生存確認なのかもしれない。
寝ているはずの子供があまりにも静かなので、触ったり揺すったりして起こし、子供は大泣きする。
そんな起こし方をされたのは、当人同士しか知らないことで、それを例えば起こされた方が「こんな事があって…」と誰かに話したとしても、「そんなわけない、気にしすぎ、たまたまタイミングが悪く目が覚めただけで、起こそうとしたわけじゃないはず」というようなことを周りがフォローする。
確かに悪意はないかもしれない、けど、じゃあ深夜の勤務で疲れて眠っている人をそんな風に心配するのが家族としての在り方なのか。
それは絶対に違うと言いたい。
そんなものは心配ではないし、コミュニケーションの正しいあり方ではない。同じ家に住んでいるからこそ、もっと違う形で表現すべきなのに。
実際そのラジオがいつもどういう意図でつけられているかは当の本人しか知る由はない。
しかし、どんな形であれ遠隔で騒音を出しているという事実は変わらず、父からいつも否定的な言葉ばかりをかけられている私には嫌がらせとしか思えないので、このコミュニケーション?方法は間違っている。
そしてまた、父への怒りが沸き起こる、静かに日々募っていくのだ。怒りや恨みは、苦しみしか生まない。けれど、こんなふうに日々新たな怒りの種を蒔くのは父であり、それを刈り取る事ができず、育ててしまうのは私なのだ。
抜けることのできない負のスパイラルに巻き込まれ、この環境から抜け出る気力もむしり取られた。おはぎちゃんのおかげで、生きる気力だけは失わずにいられるが、この大切な存在をいつ奪われるかはわからない。
親というだけで上から抑えつけることは、こんなにも子供の心をズタズタに引き裂くのだ。
前に進めない、けど前に進みたい、私は生きたいし、変わりたい。自分の人生を取り戻したい。
そうか、実家は便利で安全だと思っていたけれど、ここは施設なのかもしれない。
父が決めたルールに従わなければ、生活することを許されない設備なのだ。
父が許す時間に働き、父が許す生活を営み、常に模範的に過ごさなければならない。
この家の最大の権力者は父であり、最大の権力者はゴミだらけの部屋で好き勝手に生活していても誰にも怒られない。
もちろんゴミを捨てなくても、誰にも怒られない。みかんの皮や、切った爪や毛だらけの床の上に寝転がり、一日中テレビを見て過ごし、子供の生活をも支配し、隣近所との関係を遮断する。
それがちちの生き方で、私にはそれに従うという選択肢しかないのだ、従えなければ出て行けと言われるだけ。
延々と繰り返されるこの家族の因縁は父が生きる限り続いていく。
私はゴメンだ、もっとマシな生き方をしたい。
少なくともゴミだらけの家で暮らすなど…やはりこの家を出るしかないのかもしれない。
父がいない間に色々と反省もし、これからのことを冷静に考えて決めたつもりだったが、父のライフスタイルそのものを受け入れられないのであれば共に住むのは不可能だ。
まともな生活をするために、働かなければ。
私は人間らしい生き方をすることを選ぶ。
まだ人生は終わりじゃない、これからだって他人のために役に立つ何かを成し遂げられるかもしれないのだから、諦めない。
生きている限り、自分の意思で選んで進むことはできるのだから、必ず道はある。
そして小さくて温かくてふわふわした、白とグレーのしましまの、希望も。