つぶやきノート

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働くことの意味について

今日、外回りの仕事を終えて、自宅で無給扱いになる報告作業をしながらふと思った。

 

この報告作業や、外回りの前の事前準備にそこそこ時間を取られる。報告にミスがあると上司が報告内容を修正せねばならず、余計な仕事を増やしてしまうと本当に申し訳ないので、できるだけ慎重に、漏れや不備のない状態で業務を完了させる必要がある。なのでそれなりに時間がかかる。

 

どこの職場へ行ってもそれは当然なのだが、私の請け負っている仕事は給与の支払いシステム上そこは無給扱いだ。そのぶん時給は良いのだが、外回りの作業中に対してのみの報酬となっている。

 

それが良いか悪いかはその人の考え方や生活スタイルにもよるが、帰宅して夕ご飯を食べたあとで、音楽を聴きながら猫と過ごしながら、ゆっくり作業ができるのは良い。

 

そして今までは、決められた時間に働き、ある程度安定した収入を得られていたが、人間関係でのイライラで帰宅してから何時間もストレスを感じて眠れない日々を過ごしていた。

改善されるべきはずの労働環境がいっこうに改善されないことへの苛立ちや不安、同じ時間帯で働く同僚への不満、夜型の生活で改善されない生活習慣…尽きることのない悩みがさらに不安を掻き立て、精神的にもボロボロだった。

 

今は、自分のペースで与えられた業務をこなし、当日の業務報告をのんびりやって、それなりに気持ち良く働けている。

もちろん何かしらのミスや不備があると、申し訳ない気持ちで落ち込むこともあるが、とりあえずは次回同じ失敗をしないように気をつけようという形で気持ちの整理ができる。

 

上司に恵まれているのはもちろんだが、この仕事のスタイルが自分には合っているように思う。

給与待遇だけで言えばやや物足りないというか、収入が不安定なのでなんとも言えない部分はあるが、メンタル管理も含めて言えば良い仕事だと思う。

 

一流企業とか高待遇でも大切なのは働く上でのメンタルの変化だろうと思う。

自己成長や社会奉仕は理想だが、自分の身の丈にあった、苦しくならない働き方ができるのはとてもありがたいことだと思う。

 

そう思えるのは今までの失敗の経験があるからだ。あの失敗がなければこの仕事を良いとは思えなかったかもしれない。労力の割に給料が低いと文句を言って辞めてしまったかもしれない。

 

でも今は、お給料は低くても、自分に合っていると思う仕事をさせてもらえることがとてもありがたいし、この仕事を選んで本当に良かったと思っている。

 

ただ、これだけでは本当に食べていけないのでもう1つ仕事を探してはいるが、自分に合っているかどうかはやっぱりやってみなければわからない部分が大きい。

あれこれ考えすぎず、とりあえずやってみて、それからどのへんまで妥協できるかを考えてみるつもりだ。

 

我慢できる部分とそうでない部分がはっきりしているので、無理だと思ったら我慢しないでさっさと見切りをつけて次に行くのだ。