つぶやきノート

日々のアレコレを記録してます

108件の記事と、それより多い煩悩の数

ブログを始めてそろそろ1年が経とうとしている。にもかかわらず、すでに記事は108件になってしまった。

 

削除した記事もあれば、下書きだけでそのままになっている記事もあり、喜びを綴った記事もあるが、それらはごく稀で、この1年(実際はそれ以上前からだが)ずうっと仕事や人間関係や生活のことで悩み続けていた。

 

最近は不思議なことに、何かが吹っ切れたように気持ちがさっぱりしている。

今まではとにかく足掻いて足掻いて、ジタバタして悩んで、またジタバタしてといった感じだった。今は、さんざんジタバタしてきたけどよけいに溺れただけのような気がするので、おとなしく水面に浮かんでいるような状態。

 

水面が穏やかな時は、自分の行きたい方向に舵を取れるが、波が荒れて風が吹き荒ぶ時は、いくら水面を掻いても無駄。

せいぜいできるのは、船が沈まないようにしっかりとバランスを取るようにすることくらいかもしれない。

 

f:id:marronglace0226:20170207154854j:image

 

これらはあくまでも喩えだが、人生の波というか、運気の流れや何かしらのエネルギーというのは水のような状態なのかもしれないと、最近思うのだ。

 

コップからコップに水を注ぐ時、勢いよく入れればこぼれにくいけれど、あまりにゆっくりと注ぐとコップのフチを伝い水がこぼれてしまうように…先日の記事にも書いたが、勢いがついている方が物事がうまく行くのもこういう理由のように思える。

 

よく人間のマインドの状態をコップに喩えられる事があるが、人間の心がコップなら、気の流れは水のようなもので、心が(プラスでもマイナスでも)いっぱいだと受け取れないけれど、少なければ受け取る事ができ、そしてそのコップという器は、いろいろな苦しみや経験を乗り越えることにより、拡げることができる。

 

そう考えると、人間の器が大きいとか小さいとかいう表現は、言い得て妙だ。

そして流される生き方がいちばん疲れなくて楽なのもわかる。

 

言葉とは不思議だな〜と改めて思う今日この頃。

 

そんなわけで、(どんなわけだか?)西からの風が強くお天気が良かったので、少しの時間だけ西側の窓を開けて、窓を掃除した。

 

なぜ西かって?

そりゃあ金運アップです。

小林正観さんの本に、金運アップを期待してトイレ掃除などをするのは悪いことではないと書かれていたので、今日は私にしては珍しく、こういう理由でお掃除しました。

 

お金も人間が生きていく上で欠かすことのできない大きなエネルギーなので、それらを受け取る準備をしていこうと、最近はそのように感じるのです。

 

都会で暮らしてたらこんな風には思えなかったかもしれない。何にもない田舎に住んでいると、生きていくってなんなのか、すごく考えるし自然の力を強く感じることができる。

仕事探しは本当に大変だけど、ど田舎万歳です。