つぶやきノート

日々のアレコレを記録してます

死にたい理由と生きたい理由

今日は朝から父のラジオの音がうるさくて目が覚めた。

不快な目覚め。一階から二階に向かってラジオがうるさいと文句を言った。なぜわざわざ今日にかぎってラジオをつけるのだろう?

大事な仕事があるし、昨日は雪かきで疲れたからもう少し休みたかったのに。

 

とりあえず気を取り直して雪の様子を見に外に出て、車の上に積もった雪をどかし、ほんの少し車の出し入れに不自由ない程度の雪かきをする。

 

ついでなので玄関先から庭をぐるっと回るコースの雪を軽くどかし(といっても昨日の作業で握力がないのでスコップで押し出す程度)外の猫たちとお話しして、家に入ろうとしたら玄関に鍵がかかっていた…。

 

朝起きて、そのまま上着を羽織って出てきたので鍵など持っていない。それなのに、玄関に鍵がかかっている。車の鍵も携帯も、もちろん部屋の中だ。

 

昼から仕事なので鍵が開くのをのんびり待つほど暇じゃないし、なにより寒い。

鍵と携帯が部屋にある以上、家のドアを叩く以外に父に気づいてもらう方法はない。

ご近所さんに電話を借りるとかは本当の最終手段だ。

 

ただ…鍵を閉めたのはなぜだろう?

娘が外で雪かきをしているのになぜ玄関の鍵を閉めるんだろう。

 

結局玄関のドアや風呂場、トイレの窓を叩いて回ったがいっこうに鍵が開く気配がなく、二階の窓に向かって雪玉を投げた。

しかし粉雪で柔らかく、素手で雪玉を作るのが辛い。

さすがに冷たすぎて雪玉を作れなくなったので玄関先にあるプラスチック製の小物を窓に投げる。

雪かきに使っていた箒も投げる。

窓ガラスは強化ガラスなので多少のことでは割れないが、雪かきしていて締め出された怒りにまかせて割ってやりたくもなる。

 

一階の窓を叩き割って部屋に入ることもできるが、修理にお金がかかるし、ご近所で噂が立っても困る。まぁ、玄関先でドアを叩いて、開けて!と叫び続ければ窓を破らなくとも噂にはなるだろうが。

 

呼べど叫べど叩けど投げれど、いっこうに鍵が開く気配がなく、今日は大事な仕事もあるのに、なんだか心底悲しくなってきて玄関先で泣いた。

 

どうしたらこんなひどい仕打ちができるんだろう。

うっかり鍵を閉めるということは確かにあるとは思う。けど、これだけドアを叩いたり呼んだりしても気がつかないのは考えにくい。

父はそこまで耳は遠くない。

 

宅急便の人に気づかない事もたまにあるが、ドアを強く叩いたり呼んだりすればたいてい気がつく。

しかし今日はいくら強く叩いても呼んでも全く出てくる様子がない。部屋で倒れているのかと少し不安にもなるが、そうではないだろう。

 

自分には長い時間に感じたが、おそらく15分か20分くらい経った頃か、玄関のドアのガラス部分を叩き続けたらようやく鍵が開いた。

イヤホンで何かを聴いていたから聞こえなかったそうだ。

ドアを叩いたり蹴ったりする振動でも、気がつかなかったのか?そんなはずはないだろうと思う。父はそこまでボケてはいない。気がつかなかったと言えば悪意がないと言い訳ができる。それだけの事だろう。

 

そしてドアを閉めた父はもちろん何も言ってこない。

こちらから何か言う事ないの?と私が言ったら、ごめんごめん、と心にも無いような謝罪の言葉を言われた。

そのやり取りをして、なんとなく、わざと鍵を閉めたのだと察してしまった。

 

父は、昔飼っていた猫が風呂場に落ちた時も、勝手に風呂場に入ったから懲らしめるために(父が「懲らしめるため」と連れて行った動物病院で先生に言ったのだ)濡れた毛を乾かしてやらず、その猫は結局死んでしまった。

 

私に対しても、ラジオがうるさいと文句を言ったので、おそらく仕返しで締め出したのではないかと思う。

父はそういう人なのだ。

昔はもっと暴力的でひどかったし、子どもが言うことを聞かないと子どもの大切にしているものを破壊したりした。

 

中学生の頃、学生カバンを父に壊された。革でできている硬いやつだ。ものすごい馬鹿力だと思うが、父は素手で引きちぎった。

ベッドの下に隠していた藤本ひとみ先生のコバルト文庫の小説もビリビリに破かれた。

弟もいつだったか、ミニ四駆を自分で壊すように命じられた。母はそんな父に逆らえなかった。そんな目に合わなかったのは妹だけだったかもしれない。

 

だから、母も父のモラハラによって精神を病んでしまったし、弟も母の死に責任を感じて病んでしまった。2人とも、当時住んでいたマンションの9階から転落して亡くなったのだ。私は事故だったと思いたかったが、警察の調べでは自殺だった。

私も、今日は久しぶりに死にたいという思いに駆られた。なぜ死ぬか?父への当てつけだ。母を殺し、弟を殺した父のモラルを否定するためになら自ら命を絶ってもいいかと思う時がたまにある。

 

けれど、そんなことをしても、父は変わらないだろうとも思うのだ。母と弟を亡くしても変わらない父には私の死を持ってしても無駄だろうと思う。それこそ無駄死にってやつだ。雑魚キャラがフリーザに向かって行くようなものだ。

 

私はおはぎちゃんのために生きることにしたのだから、この子のためにも自分の人生を、生活を大切にしなければ。

 

こんなふうに暮らしていかなければならないなら、やはり家を出たいと思ってしまう。

父は好き勝手にやればいい。

私は父のせいで精神を病むなんてもうお断りだ。

しかし、高齢の父を1人残して家を出ることは、家族のあり方としては間違っている。

 

父への恨みが消せないのに一緒に暮らしていても苦しくなるだけなのに。

どうあるべきか、考えるまでもない。私が耐えなければいけないのだろうな。

許せれば楽になるだろうけど、許せない事だってある。そしてその許せない人と暮らさなければならない苦しみを乗り越えたら、何かがあるのかな?

 

喜びではないだろう、ただ、ああ、苦しいところ、終わったな。という程度だろうな。

 

死にたいと思う時は何度もあったし、これからもきっとあるだろうけど、やっぱり一度きりの人生だから、苦しい部分も含めて生きてやろうと思うんだ。

人生には苦しみしかない、そう言ったのは仏陀だったか…?