つぶやきノート

日々のアレコレを記録してます

思い込みってどこから来るの?

時々、思い込みが激しいって言われるし、自分でもずっとそうだと思ってたけど、思い込みが激しいのは私ではなく相手の方なのでは?と、あることがきっかけで気づいた。

 

相手は自分を映す鏡だというけど…

 

これはこうじゃなきゃダメ

〜〜あるべき

〜〜しなさい

 

そういうふうに、ずっと育てられて来たし、社会に出てからもそういう人と関わることが多くて、そうせざるを得なかったのだけど…。

 

どちらかというと私は、あまり細かいことを考えずにとりあえずやってみて、やりながらここはこうした方がもっとキレイに仕上がるとか、ここはこうした方が速くなるとか、ここはこうした方が次の作業する人がやりやすいかなとか、あまり型にとらわれずにいろいろ試してみる方だ。

 

でも、

これはこうじゃなきゃダメ。

これはこうって決まってるから。

みんなこのやり方でやってるから。

 

という理由で、私のやり方はダメ出しをされる。

こうやった方がもっと良くなるはずなのに、なんで今までのやり方にそこまでこだわるんだろう…と腑に落ちないでいると、頭が固いとか、思い込みが激しいとか言われる。

 

こうじゃなきゃダメって押し付けてるのは周りなのに、出る杭は打たれるというけど、私みたいなのをダメ出しすることで自分たちのやり方が正しいと証明したいのね。

自分が正しいと思うことは、生きて行く上で必要な思考だと思う、けど、自分だけが正しいとか、自分は正しくて相手が間違ってると決めつけるのはどうかな。

 

移住してきてからというもの、こういう人や職場ばかりで、どこへ行っても叩かれ続けてきた。

道理で、精神的に参っていたわけだ。

今までずっと、環境に適応できないのは自分が悪いからだと思ってきたけど、悪いわけではないらしい。やっぱり、考え方が違うんだよね…私がそこに馴染めないだけ、別に悪じゃない。

 

自分が悪いと思うように、子供の頃から父に刷り込まれ続けたので、こういう考え方になっちゃったけど、それを壊せるようになりたい。

 

そう思えるようになったのは、見えないところでつながっている人たちのおかげです。

台所で洗い物しながら考えていた本のことを、あるブロガーさんが記事に書かれていてびっくりした…こういうことってあるんだね。

 

 

今日も今日とて、相変わらず選択削除で全消えなんだけど、迷いながらダラダラ書いてる記事って自分の思い入れがないから消えてしまうのかも。

何しろ書いてたことも半分くらいは覚えてないので、吐き出したこと(書き出したこと)で自分の感情の整理が少しでも出来て、消したことで、自分の中で少しでも消化できていれば、書くために費やした時間は無駄ではないのだ。

 

最近忘れっぽいと何度か述べたけど、忘れられないことが苦しみを増長させるなら、忘れてしまった方が良いと思っていたので、願った通りになってしまったわけです。

 

忘れる内容までは選べないけど、楽しいことを忘れてしまったら、また新しく作り直せばいいよね。日々是新た。日々を改めて生きよう。

 

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私の聖書とも言える、松下幸之助さんの『道をひらく』

この本に出会わなければ、今の私は居ないだろうな。