幸せの定義とはなんぞや
幸せだなぁと、最近思う。
特に、何かがすごくうまくいっているとか、ラッキーな事があったとか、そういうわけじゃないけれど、自分の中でフワフワとした形のないものが姿を現し始めたからかもしれない。
信じられるかどうかではなく、確信めいたものがなくても信じると決めたこと。そして、たとえその決心が私の見当違いだったとしても、その結果も受け入れる覚悟をしたから、なのかもしれない。
何かを決めることによって、不安が減る。
不安が減らないのは決心しきれていないからだろう。何年も同じことを悩み続けてきて、ようやく決心できたから、もうこれでいいと思う。
たとえこの選択が違っていたとしても、もう恨まないし、自分のせいにもしない。
辞めたかった仕事を辞めて、生活スタイルを改善して、心のゆとりができた。
新しい仕事が自分に合っていることも大きい。
正直、収入は微々たるものだが、それでも私はこの仕事を選んで良かったと思っている。
妥協できる部分と、利点のバランスが良い。
睡眠も徐々に改善されてきた。
こういう、普通の生活と、仕事の安定が心の平穏をもたらし、幸福感を作り出すのだろうと思う。
もちろん、愛するおはぎちゃんの存在はとても大きい。この子がいなければ、私は今ここにいないかもしれないのだから。
ありきたりの言葉でしか言えないけれど、おはぎちゃん、出会ってくれてありがとう。
いつもそばにいてくれてありがとう。
明けても暮れても
職探しの毎日です。
せっかく始めた工場ワークもライン作業が速すぎてついていけず…。
ベテランの人たちと同じスピードを求められるので早くも挫折気味。派遣で入った私が浅はかだった。
今日はお休みなので朝からコーヒーメーカーと電子レンジと冷蔵庫を掃除したり、自室の掃除機かけて、ソファカバーと毛布を洗濯。猫のトイレ掃除して、コーヒー飲んでまったり。
おはぎちゃんもゴロゴロ。
今朝は少し粉雪が降ったので寒いです。
他の仕事探そうにも、この時期は募集が少なくてどうにもこうにも…。
柱は一本立ってるけど、あまりにも収入が少ないのでもう1つないときついなぁ。
さて…。
元気
最近自分でも元気が出てきたように思う。
仕事を辞めて、新しい仕事を始めて、生活の時間が安定したせいもある。
今までは、夕方から深夜働いて、翌日は朝から夕方まで働いて、寝不足のまま仕事に行ったり、夜型の生活スタイルでなんだか不健康な習慣ばかりが定着していたが、働く時間を昼間に限定すれば、仕事から帰って来てゆっくりごはんを食べたり、音楽を聴いたり、映画を見たり、それでもまだ21時で、そのあとゆっくり風呂に入ってお肌の手入れをしてまだぼーっとしたりダラダラしながら寝る支度や明日の仕事の準備をしたり。
とにかく時間がたくさんある。
仕事から帰って来て仏壇に手を合わせる余裕も出てくる。
とても素晴らしいことだと思う。
こういった心のゆとりとか、日々のあたりまえの生活に感謝できるのは、やはり昼間に仕事をしているからだ。
人間の生活サイクルは、やはり朝起きて、仕事して夕方には帰って来て家でゆっくりしながらリセットして、次の日の心構えをすることで安定するのかもしれない。
とにかく元気に過ごせることに感謝したい。
上がり調子か
波がある…。
平坦な毎日などありえないのでそれが普通だが、調子のいい時にも慎重になりすぎるのでこけやすい。
流れに乗ってしまえば以外とトントンっと進んでしまうこともあるかもしれない。
用心するに越したことはないが、疑いすぎると失敗するらしい。
何も考えずに丸ごと信じてしまう方がいいのかもしれない。
考えすぎて疲れてしまったし、考えても事態が良くなるわけじゃない、むしろ考えすぎると悪くなる。
つまり、素直に受け止めること、なのだろうと思う。
とりあえずと思うことをちゃんと続けなきゃね。
円満とはいかないけれど、結局仕事を辞めた
辞めたので今までのことをああだったこうだったと言い訳するのはやめておこう。
散々考えた末に出した結論だし、自分の中ではきちんとした理由があって、これから先を見据えた上で決めたのだから。
そんなわけで、少しだけ気分が軽くなった。
さっさと次の仕事見つけなきゃ。
ダメだこりゃ、次行ってみよう。
いかりや長介は正しい。
モグラのモグ太郎に初めて会えたのに死んでいた件
最近、寒い日が続いている。
先日降った雪はお天気が続いたのですぐにとけてしまったが、雪が降らなくても寒い。
けど、まだ水道管が凍るほどではないのでこれからもっと寒さが厳しくなるはず。
うちの庭に住んでいたモグラのモグ太郎が、今日遺体で発見された。
第一発見者は人間では私かもしれない。
でもその前に父が見ているかもしれないが…
自宅の階段下で仰向けに倒れていた。
ちょうど通り道なので、あたりが暗かったら踏んづけてしまうかもしれないので、脇の草むらに移動したが、猫か獣にかじられたらしく、頭部に損傷があった。
死因はなんだろう、頭部の損傷によるものだろうか?それとも寒さのせい?でも玄関先に転がっているのは猫が捕獲してきて飼主に見せるためかもしれない。
猫を褒めてやるべきだろうけど、モグ太郎が死んだのはショックだ。
初めて見たモグラは思っていたよりも小さく、うちのおはぎちゃんを拾ったばかりの頃を思い出して、モグ太郎がとっても愛おしく感じた。
大きな手と爪。
かわいい鼻。
灰色の毛で覆われた小さな身体。
大きめのネズミくらい。
生後1ヶ月の猫よりも小さい。
勝手にモグ太郎とか呼んでるけど、オスかメスかは不明。明後日までそこにあったら埋めてやろうと思う。
写真は迷ったけど、この子が生きていた証として残すことにする。
閲覧注意です。
暗闇の中で光も見えない時にどうするか
今日久しぶりに記事を書いて、ちゃんとアップした。
自分で読み返してあまりにもおぞましいドロドロしたものが垂れ流されているときは、何度も読み返しながら修正したり、書き直しては消し、書き直しては消しを繰り返して結局削除してしまうことも少なくない。
愚痴など他人様から見たら読んでて気分のいいものでもないし、自分自身でも醜いとは思うので。
それでも我慢できないことが多くて消化不良でパンクしそうなときは、できるだけ吐き出すようにしている。
それにしても最近は、自分が何を書いたか細かく覚えていないことが多くて困る。
書くことによって不快な出来事も忘れてしまえたら良いと思うが、そんなに便利な思考回路ではないので、書いたことは忘れてしまっても不快な出来事は覚えているのだ。
正直、これから先どうしたらいいかまったくわからない。
辞めたいけど、辞めてもどうせ次のところで別の人間関係に悩まされるのは目に見えている。
こっちに移住してきてから掛け持ちも含めて13か所で働いた。
職場の雰囲気が悪すぎて一日で辞めたところもある。
更衣室や休憩所でいつもお客さんの悪口ばかり言ってる病み気味の従業員や、マニュアルマニュアルで一語一句間違えずマニュアル通りに言うように指導してくる馬鹿な社員や(その店で働いている従業員はほとんどできていないにもかかわらず)、勤務中に従業員が売り場の酒を開封して飲んでいるスーパーとか、店長とその息子が働く職場で息子が好き勝手にサボっているうえにサービス残業までやらされて真面目に頑張っているのに店長に陰口いわれまくってるとか、自分より二回りくらい年下の先輩にパワハラだかモラハラだかされたり、やっと続けられそうな職場を見つけたのに独身の自閉症っぽい従業員につきまとわれたり。
ただ単に週5日8時間勤務が体力的にキツくて続かなかったところもあるし、当時お付き合いしていた人がお金のトラブルが多くて私をATM扱いしていたのでかけもちしていた他の仕事を辞めたりもした。
私自身も内面でいろいろ問題を抱えてはいるが、こっちに来てからは変な職場が多すぎて辞めて次のところへ行ってもまた何かしら別の問題で悩まされ、それに耐えられなくなって辞める・・・を繰り返している。
今冷静になって考えてみても、辞めたことに後悔はしていないし、本当に限界でキツくて無理だったところもたくさんある。
これから先どんな働き方をするべきなのかがわからない。
というよりも、気力がわいてこないので新しく何かを始めようとか思えない。
逃げ込んだ先が居心地いいことを願っても、そんなのは現実には起こりえない。
結局私は甘ったれの根性なしなのかもしれないな。
それならそれでいいけど、これから先、どうする?
立ち止まって何かが起こるのを待つか、手を伸ばして注意深く辺りを調べながら先に進むか。
何も見えない誰もいないような闇の中で、待ち続けるよりは行動したい。
ひとりじゃない、おはぎちゃんが居てくれるから大丈夫。
この子のためにも先に進もう。
ちょっと元気出たし、もがき続けるぞ。
腐った職場でも根を張るべきかどうかについて
年が明けてから早いもので、そろそろ2週間経とうとしている。
私はといえば、相変わらずの毎日で、仕事を辞めたい。
次の仕事を探してはいるものの、こんな田舎で、しかもどこも閑散期、募集している企業のほうが少ないし、仮に募集していたとしても、年間ずっと求人情報に名を連ねている企業ばかりなので実際に働かなくともどういう展開になるか・・・予想はできる。
結局のところ、今の環境で我慢をして働くしかないのかもしれないが、仕事もしないでおしゃべりばかりで上司へのゴマすりがうまくて周りを見下している腐った野郎と一緒に働くことが辛すぎる。
というか、嫌いすぎてストレスがたまる一方だ。仕事を終えて家に帰ってからも気が休まらず、どうしてああなの?と思い出すたびに苛立ち、眠れなくなる。
こんな生活続けてたら絶対また病気になる。そんなリスクを背負って働き続ける必要があるとは思えない。
働く環境が合わなきゃ仕事を変えればいいだけのことのはず。
この嫌いな同僚に関しては、ほかの人にも指摘されたらしく、少しはちゃんとやるようになったが、ちょっと暇になってくるとすぐに所定時間より多く休憩を取ろうとする。
経営者には人件費削減のために休憩を多く取ってると言っているらしいが、これをやられると一緒にシフトインする相手は非常に困る。もっともらしい理由つけてるけどただ単にやる気がないだけでしょ、と思ってしまう。
退勤時間までにやろうと思っている作業の後半部分がまだ残っているのに、こいつに一時間近く休憩とられたら予定作業を中断せざるを得ない。
お客さんもぼちぼち来るのでレジ見ながらウォークインの補充とかできないし、落ち着いたらやろうと思っていたその他の作業がほぼほぼできなくなる。
本気で一人で回そうと思えば不可能とは言えないけど、サボってるやつのために2倍頑張るなんて割に合わない。なによりあほらしいし、人に尽くすのが好きな私でも、そこまでお人よしじゃぁない。仕事サボるやつは真面目にやってるやつにとって迷惑以外の何物でもなく、それを自覚するべきなのでフォローはしない。
ちゃんとやりたい派の私には合わない。
やってもやらなくてもどっちでもいいし気にしない派の人と組めば好きなだけ休憩取れるだろうな。
私が後者へ鞍替えすればこの人とも一緒に働けるだろうけど、それができない性分だからこんなに悩んでいるわけで・・・。
どうしようかな~仕事。
でも、こんなもんなのかな。
仕事に高い理想や完璧を求めても仕方がないのかも。
どこで買い物しても食事してても感じる、サービスレベルの低さとそういったことに対するアンテナの感度の低さ。ある意味のんんびりしていて、ある意味鈍い。
東京みたいな激戦区と違って、ほっといてもお客さんが来てくれるから、田舎には田舎なりの接客の在り方が有るのかもしれない、ただ単に進化していないだけだとしても、それは進化する必要がないからしていないのだろうし。
古いものは古いままで、なんでもかんでも効率化やデジタル化をするのではなくて、非効率なものやアナログなものが良い場合もあるのはわかる。
郷に入れば郷に従えというけど、20年以上もやってきた接客のスタイルを変えるのは難しいし、なんだか自分を堕としているような気がしてならない。
このジレンマを乗り越えたら、少しは成長できているだろうか?
それとも腐ってしまうだろうか、退化してしまうだろうか。
この記事を書くのに3時間はかかっただろうか、いや、もっとだな。
最初に書いてた醜くて汚らしい部分はだいぶ省けたかも。
真面目に誠実に
仕事の方は相変わらず、苦手な人と一緒に働くのが大変で疲れる。
辞めようかどうしようか、辞めてもまた他の職場で同じように対人関係で悩むのは目に見えている。
あちこち相談した結果、苦手な人と2人だけの勤務を減らしてもらえるよう相談することにした。仕事が安定しないと生活の基盤ができないから、頑張って続けるべきという見解。
今までは上司に相談していたけれど、ちょっと辛くなってきたので同じ職場の人に愚痴ったら、同じように感じている人や、応援してくれる人がいることがわかって、今日は涙が出そうなくらい嬉しかった。
真面目に頑張っていれば、ちゃんと見ていてくれる人もいるし、助けてくれる人も現れる。
手を抜いて小手先だけでいい加減なことをしていれば、その人にもいつか見返りがある。
だから、ただ真面目に誠実に、仕事に取り組むことは大事だ。
ただ言われるがままで我慢し続けるのではなく、自分の考えをきちんと伝えていくことも大切だろうと思う。
今日もとても不快な出来事があったのだけど、仲間の助けのおかげで心が折れずに済んだ。
もう少し、踏ん張って頑張ってみよう。
そして部屋も少しずつ広くなってきた。
部屋の片隅に寄せたダンボールの山、二畳くらいのスペースに縮まった。
冬休み
しばらく更新を怠ってしまった。
理由は、書くことが特に無かったから。
仕事に行かなければストレスもたまらないのでごはん食べて、海外ドラマ観て、寝て、あとはおはぎちゃんと遊んだり、新しい仕事を探すために調べものしたり。
引きこもりだ。
精神的な疲労を癒すための休養なのでとりあえずはこれでいいと思っている。
少し元気になったら、今後のことをしっかり考えて舵を取らなければ。
それから、リスクを恐れて挑戦しなかった事にも…。
大丈夫、ジェーンから勇気をもらったので、このドラマを観終わってらまた頑張ろう。
寒さのあまりブルブル震えながら台所についてくるので、ジャケットの中におはぎちゃんを入れて洗い物をしたりトイレに行ったりしている。
このジャケットもう10年くらい前に買ったものだけど、とても暖かい。でもあちこち擦り切れてきて外出するにはみっともないと思っていたけど、思い切って部屋着にして良かった。